プラネット・カーモス

プラネット・カーモスⅠ

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1.旅立ち。自ずから望みしこと。

世界に未練がないのは、おれがいないから。

「これはまた——圧倒されますね」

我ながら抑揚のない声音だ。
とても圧倒されている人のそれではない。
こんなだから、お前は何を考えているのかよく分からないなどと口を揃えて言われてしまうのだろう。

まあ別に他人にどう思われようとおれは構わないけれど。
家族だって自分以外は全部他人だし、他人におれの考えが読めるはずがない。他人の考えを読むとはつまり、想像するか慮ることなんだろうけど、おれに対してそんな労力を割こうという人も希に違いない。

住み慣れた孤児院。その庭。
地面の上に銀色のアタッシュケースが山積みにされていた。
おれは感慨もなくそれを眺める。
一つのケースに対し1億円分の札束が詰められているはずだ。

計100個。100億円。

圧倒、される光景なのだろう。
几帳面に積まれて陽光を反射するアタッシュケースの群に対してではない。多くの人はその中身の価値を想像して圧倒されるのだと思う。

——ただの紙切れじゃないか。

それでもおれの感慨なんてそんなもんだった。

「お約束通り101億、用意致しました」

アタッシュケースの山の隣で、恭しく言うお兄さんがいた。
101個目のアタッシュケースを手にし、おれに向かって差しだしている。

歩み寄ってそれを受け取る。
お兄さんが手を放すと予想外の重さで身体がつんのめってしまった。
頭の上でお兄さんの微笑んだ気配がした。

両手でなんとかケースを持ち直す(14歳で小柄なおれにはそれでもけっこうな重さだ)。
顔を上げると予想どおり、朗らかな笑みを湛えているお兄さんがいた。
現代ニホンでは珍しい和装を纏っている。静かな藍の様相だ。
その色に映えるようにお兄さんの瞳は深く紅い。
腰には一振りの刀を帯びているが、なぜか鎖でぐるぐる巻きにして抜刀できないようにされていた。

——そして額には二本の角が生えている。

普通の人間には角などない。
つまり目の前にいるのは人間ではないということで、

「鬼だ」
「はい。鬼にございます」

独り言のつもりだったけど、朗らかに返されてしまった。

「お金、ありがとうございます」
「いえいえ。正当なる対価ですから」
「対価、ですか」

人ひとりの身に値段が付けられるというのは何だか不思議に思えたけど、それもまたこの世の真理なのかもしれない。
孤児で何の取り柄もないおれの価値が101億円というのなら、それは喜ばしいことなのではないか。

そう合点した。合点しながらそれでもやはりおれの価値は紙切れなのかと心のどこかで思った。

「もう一つの条件も呑んでもらえたんですよね」
「もちろんでございます。
一、ヒト族・木崎ハルの身柄と引き替えに101億円を譲渡する。
二、このうち1億円は木崎ハルに、残る100億円を全国の児童養護施設に公平かつ直接配布する。またこれをニホン国首脳に知らせる。
——よろしいですね?」
「はい。それでお願いします」

今おれが手にしているのは1億円の重みだ。
だからどうということはないけど、これで弟妹たちが少しでもうまくやっていけるといいな。

おれは鬼のお兄さんに背を向ける。
よたよたとケースを運びながら、少し離れた場所で見守っていた先生のもとへ帰った。

少し距離をおいて立ち止まり、目の前の地面へケースを置く。
自然と、ケースが先生とおれの隔たりとなった。

何だかやたらに重い荷物から解放された気がした。

「先生。これ、少ないですけど育ててもらったお礼です」
「……ハル、本当に行くのか? 今からでも私が……」

複雑な表情をしている先生。
あらためて見ると老けたな。
優しくも厳しい父親であろうと毎日必死におれたちを構ってくれた。

いろんな表情を知っているけど、こんな顔をされるのは初めてで、もしかしたら泣き出してしまうのではと心配になる。
それを恥ずかしいことだとは思わないけど、やはり大人のそういうところはあまり見たくないとも思った。

物心つかないころに捨てられたおれを育ててくれた人のそんな顔には、さすがのおれでも感じるものがあるようだ。

おれはどんな顔で応えればいいのだろう。わからない。

「おれが自分で決めたことです。あいつらを頼みます」

まだ早朝。弟妹たちは施設の中でぐっすりのはずだ。
もう1時間もすればだんだん騒がしくなっていくのだけど。

そんな日常から自分が離れていくのだと思うと感慨深いような気もする。
気がするだけなのかもしれないが。

「行ってきます、先生」
「……元気でハル。いってらっしゃい」

一瞬、先生の手がこちらに伸ばされようとしたのが見えたが、すぐにだらりと下げられてしまった。
かわりに多くを語らぬ別れの言葉をくれた。
先生のこういうところは好きだな。

もう一度先生の顔をじっと見つめてから、また踵を返した。
待っていたお兄さんのもとへ歩み寄る。

「もうよろしいのですか?」
「長引けば別れがつらくなりますしね」
「ふふ、面白い方だ。そんなことは微塵も思っていないような顔をされています」
「あいにくと生まれつきこういう顔なんですよ」
「左様でございますか。——ほんとうに面白い」

ほんのわずかな瞬間、お兄さんの眼光が鋭く怪しいものになったのを見た。
微笑んだ口元に凶悪そうな牙が垣間見える。

へぇ、とおれは思った。

「最弱の種でありながら、最上位種である我が主に喧嘩を売っただけのことはある」
「人聞きが悪いですね。あれは公平な交渉事ですよ」
「これは失礼いたしました。あくまで褒め言葉と受け取り下さい。——1億の提示を101億にまで引き上げたその知性。そしてその異様な心の在り方。僭越ながら私も貴方様の今後が楽しみです」
「まあ、あちらでは人類はすぐに死んでしまうと聞きましたけどね」

あちら側。これからおれが向かう世界。
おれはそこで何をするのだろう。

「ご安心下さい。貴方様の師となる優秀な人材を用意しておりますゆえ。さあ、それでは参りましょう」

お兄さんの背後に真っ黒な何かが現れた。
トンネルの入り口のようで、丸い。

お兄さんはためらいもせずその中へと消えていった。

迷わずおれもそれに続いた。
まだ背後で見守っているだろう先生と、育った孤児院を振り返ることはついになかった。

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2.人工惑星「カーモス」

約束があった。
生きる約束と、死にゆく約束が。

一瞬の暗転。身体が浮いた感覚と一緒に上も下もわからなくなった。

かと思うと、ふいに地に足が着いた。

光が差し、異国の大地を踏みしめた匂いがした。
次いで道行く人々の喧騒に包まれる。
気付くと、見たこともない街が目の前に広がっていた。

おれは柄にもなく息を呑んでしまった。

最も近しいボキャブラリーを用いるなら“中世ヨーロッパの街並み”が近いかもしれない。
しかしそれはあくまで“近い”でしかない。

物語の中でよく見かけるレンガ造りの建物もあれば、そのすぐ隣にたいそうな木造建築がそびえている。

かと思えば、遠くに工場地帯のようなものも見えて、そこだけずいぶんとSFチックな雰囲気だ。

何よりそんな街並みを歩く人々が異様だった。

「なんだこれ……」

おれのすぐ隣を、頭部に獣の耳が生えた少年と少女が通り過ぎていった。
少年の方がこちらを振り返って無遠慮におれを眺めた。
ばちりと目が合ってしまい、少年の目に鋭い光が差した。

「やんのか?」とでも言いたげな表情だったが、それに気付いた少女が彼を小突いて叱りつけたようだ。

しぶしぶと前を向いて歩き出す少年。その尻尾が不機嫌そうに揺れていた。

少女の方は、詫びるように困った笑みをおれに向け、軽くお辞儀して行ってしまう。

そんな二人の横を通り過ぎてこちらに向かってくるやせ細った長身の男は怪しげな仮面をかぶり、血を凝固したような三つ叉の槍を肩に担いでいる。

牛をそのまま人型にしたような生き物。

紋様の刻まれた真っ赤なローブを着込んだ人。

とんがった帽子をかぶって杖を手にした、ひと目で魔女と分かる少女たちの集団。

とにかく普通の人がいない。
どこを見ても人類にはない特徴を持った人たちばかりだった。

「到着致しました。ここが本日より貴方様が暮らす地、カーモスでございます」

隣からの声に、おれはそちらを見た。

鬼のお兄さんと目が合った。
そういえばこの人に連れてきてもらったんだとようやく思い出す。

「ここは異次元かどこかなんですか?」
「いえ、ここは貴方様が暮らしていた星と同じ次元ですよ? ここにいる者たちの多くは同次元の異星人たちです。とはいえ、異次元だろうと同次元だろうと大差はございません。なにせ、貴方様の星の“科学”とやらで、この星へ辿り着くのは向こう数百年不可能だと、我が主が申しておりました」
「なるほど。でもその言い方だと、異次元も存在するんですね」
「おや、そちらの方が気になりますか。ふふ、やはり貴方様は故郷に未練がないようだ」

何がそんなに楽しいのか、お兄さんの声は弾んでいる。
こん、こん、と鎖の巻かれた刀の柄頭をリズムよく叩いているのが妙に耳に付いた。

と、足に何かがぶつかった。同時にぎゃっといううめき声が聞こえた。

反射的に顔を下げると、おれの太ももくらいしか身長のない生物がしりもちをついているところだった。
深い茶色の毛に覆われていて、身長と同じくらいに長い尻尾が特徴的だった。

いや尻尾以上に特徴的なのはその服装かもしれない。

なんと、高級そうな布地のコートを纏い、センスの良いキャスケット帽を目深に被っている。

「すまねぇ、坊や。急いでたもんで、前が見えちゃいなかった」
「はぁ。こちらこそ往来で立ち尽くしていましたから。申し訳ありませんでした」

動物(おれにはそう見える)が服を着て、しかも話している。

そして、毛で覆われたその顔に満面の笑みが浮かんだ。

「おぉ! お若いのに出来た坊ちゃんだ。かたじけねぇ。——っと、こんなことをしている暇はねぇんだった! この先でまた抗争が始まってやがる! 見たところ坊ちゃんも力なき種だろう? はやく逃げなよ」

妙に訛った言葉でまくし立てるように言い終えるや、その生き物は一目散に駆けていってしまう。
見事な二足歩行だった。

「抗争、って何ですか?」

おれはお兄さんに訊ねる。

「そのままの意味ですよ。カーモスでは争い事が茶飯事ですからね。大概は個人間の小さないざこざで済みますが、ときには組織だった抗争もありますし、例え個人同士の喧嘩であっても、それが力ある者たちの場合、甚大な被害を及ぼします。まあ、貴方様の場合はどんな小さな争い事にも関わらないことをおすすめしますよ」
「それはもちろん。おれは喧嘩が弱いんです。自分から首をつっこむような真似はごめんです。せいぜい巻き込まれないように注意——」

言うや否や、おれの声をかき消して、耳をつんざくような爆音が響いた。

見ると人垣の向こう側で爆煙が上がり、次いでその上空に巨大な光の円環が現れた。
金色の円の中には幾何学な模様や、見たことのない文字式が書き込まれているようで、一言で表すと……。

「あれは魔方陣ですか?」
「おそらくルフ族の魔導環ですね。攻撃範囲に長けた魔法を得意とする種です。ここも危ないかもしれません。お逃げになりますか?」

そうこうしている間に街ゆく人々の反応はすでに二分化していた。
面白そうに見物する者たちと、足早に退散していく者たちだ。

「そうですね。逃げた方がいいかもしれませんね」

ぱっと見た感じ、強そうな種族が残って見物し、弱そうな種族が逃げている様子だ。
おれがどちら側に倣うべきなのかは悩むまでもない。

「鬼のお兄さん。あなたはどうするんですか?」
「私ですか? 私は特に何も。自分の身は自分で守れますので、どうかお気遣いなく」

お前を守ってやる義理はないと暗に言われているのかもしれない。

それは仕方ないだろう。

お兄さんの任はおれをここへ送り届けることだろうから、これ以上を望む程におれと彼の間柄は近しくない。

「わかりました。それでは、おれはこれで失礼します。お世話になりました」
「いえいえ。ご健闘を祈っていますよ」

しかし、恭しく挨拶を交わしたところで一際大きな光が起きて、おれとお兄さんはそろって先ほど爆発があった方角をみやった。

見ると新たな魔方陣(魔導環だったっけ?)が現れ、それが弾けた。
弾けた勢いそのままといった様子で、無数の光が鳥の形を模して四方に羽ばたいた。
凄まじい勢いの鳥たちは周囲の建物に飛び込むや爆発を起こして街を破壊している。

見物していた人たちにももちろん襲いかかるが、彼らは手にした武器で弾き落としたり、自ら光の円環を生み出して防御したりしている。

「おや。こちらにも来ますよ」

お兄さんが言うように、光の鳥が一羽こちらに向かってきていた。

「着弾したら辺り一帯焼かれますのでお気を付けて」

「いや、おれの足ではもう逃げられませんよね?」

近づいてくる光源に目を細めながら呟くと、お兄さんはおどけたように小首を傾げてみせた。

うん。死んだかな、おれ。享年14歳か。大往生ってやつだ。
感慨に浸るべく目を閉じようか少しだけ迷って、結局そのまま迫り来る死を見つめることにした。

鳥が発する鋭利な鳴き声は光が走る音なのか、はたまたこの鳥は本当に生きているのか。魔法とは不思議なものだと思った。

いよいよ俺の胸もと数センチまで鋭利なクチバシが迫ったところで、突如強い力で誰かに抱き寄せられた。

温かく柔らかな感触と、花のように甘い香りがした。

「呆れた。いきなり死にそうになってるじゃないの」

涼やかな声が上から降ってきた。

声の主に肩を抱かれたままで、俺は見上げた。

澄み渡る空を映したような、蒼の瞳と目があった。

「キミに死なれると私が困るんだけどな」

吸い込まれそうな瞳と、肩まで伸ばした美しい金の髪。
髪から覗く耳はピンと気高く尖っている。

あまりの美貌に思わず見惚れてしまったが、あの鳥はどうなったのだろうと、ふと思い出した。

見ると、おれの肩を抱いたままの女性がもう片方の手で光の鳥の首根っこを掴んでいた。
鳥はじたばたと暴れているが、彼女はうっとうしそうに綺麗な形の眉を寄せるだけだ。

「まったく。街中でこんな魔法を使うなんて信じられない。私だってもう少し気を使うわよ……たぶん」

そんなことを言ながら彼女が掌を握ると、光の鳥は断末魔を上げながら粒子となって飛散してしまう。

「ふん。ルフの子にはあとでお灸を据えなきゃね。——さて、と」

おれの肩を抱いていた手が放される。
一歩だけ大きく後退した女性が、まじまじと俺の顔を見た。

ずいぶん俺より身長が高いから、自然と見下ろされる形になる。

「キミがハルくんね。私はフィローラル・エスティーシャ・グリフィス。キミの守り役を引き受けたエルフ族よ。よろしくね」

そう言って、先ほどまでの不機嫌さはどこかへ行ってしまったように、無邪気に微笑まれてしまったのだった。

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3.美貌のエルフが交わした契約

おれがこの目でしか世界を見られないように、
世界もまた、あの目でおれを見ている。

「もう少し離れるわよ」

抗争とやらが始まった地区から少し離れたところでグリフィスさんが一度だけ振り返って言った。
金の髪が陽光を返して輝き、蒼色の瞳がいっそう映えるようだった。

こちらの意見を聞く気はもうとうないようで、グリフィスさんはそのままスタスタと歩き出してしまう。

まあべつに、おれに意見などあるはずもないから構わないのだけど。

見慣れない街並みを、エルフを自称する女性の背中を追って歩く。
なんとも不思議な感覚にさせられるな。

おれはグリフィスさんの後ろ姿をぼんやりと眺めた。
刻々と雰囲気の変わっていく街並みも物珍しいが、いまのおれには彼女こそ重要、なのだろう。

彼女は俺の守り役だという。

身長は170センチ半ばくらいだろうか。
こちらの世界の基準は分からないが、おれの感覚では女性としては高い方だと思う。

歩き姿には気品が窺えた。
服装は動きやすさ重視で飾り気は薄い。

だが小綺麗で品性に溢れ、何より当人が精彩を放っているものだから、飾らない服装が返って美しさを際立てているようだった

エルフ特有のものだろうか、瞳の蒼より深い青色のマントを羽織っていて、歩みを進める度にそれがひらひらと揺れていた。

やがて、立ち止まる。

「ここまで来れば大丈夫でしょう」

そう言ってグリフィスさんはおれに向き直った。

混沌とした街並みの中に出現した、開けた広場だ。

床は金属なのか陶器なのかよく分からない材質のタイルが色彩も鮮やかに敷き詰められていて、中央には意匠を凝らした時計台らしきもの(意味不明な文字がびっしりで針も5本くらいある)がそびえていた。

まばらにいる人々はみんな、それぞれくつろいでいる様子だ。
ベンチに腰掛けている人もいれば、床に腰を下ろして談笑している人たちもいる。

言葉にするだけならのどかだけど、実際は異形の種族たちばかりで、見慣れていないおれにとっては奇妙な景色だ。

「——で、あんたはいつまで付いてくるの?」

グリフィスさんが不快そうに目を細めて言った。

おれに対してではない。
視線はおれの頭上を通り越して、背後の人物に向けられている。

振り返ると、鬼のお兄さんがおれたちの後に付いてきていた。

「おやおや。随分とひどい言いようですね、グリフィス嬢。私は彼を貴女様に引き継ぐところまでが任務なのですよ」
「どの口がそれを言うのかしら? その子を見捨てようとしていたじゃないの」

グリフィスさんが、びしりとおれを指さして言う。

こちらの文化では人を指さすのは失礼に当たらないのだろうか。
はたまた、先ほど感じたグリフィスさんの気品はまやかしで、本当は失礼を憂慮しない性格な可能性もある。

いずれにせよどうでもいい。

苛立ちの矛先を向けられたお兄さんはまったく動じた様子がない。

「誤解でございます。この私めが、ルフふぜいの魔法を片手間に払う程度の労を惜しむと思いますか? あれは、随分と物騒で剣呑な貴女様の魔力が近づいているのを感じましたので、ここはお譲りした方が彼との今後のためにも良いと判断したまでです」
「いちいち気に障る物言いをするのね、相変わらず……」
「申し訳ございません。そういう性分でして」

いかにも不機嫌そうなグリフィスさんと、飄々としたお兄さんが睨みあう。

間に挟まれているおれはどうしたものだろうか。

まあおれの頭上でばちばち火花が散っているだけで、とくに不便はないのでこのまま静観することにしよう。
たとえ不便があったとしてもおれはいっこうに構わないし。

「話すだけ無駄ね。もう用は済んだでしょう? さっさとその子を置いて帰りなさい」
「言われずとも、私も暇ではありませんので。——最後に一つだけ、取引きの内容をご確認してもよろしいでしょうか?」
「確認もなにも魔証文で縛られている以上、行き違いはないでしょう」
「“かの者の力なら我が契約をも曲げられるやもしれん。横着せず手順と礼節を尽くせ”。——と主より仰せつかっていますので」
「……買いかぶられたものね。あの化け物、規格外のくせに思慮と慈悲に深くていやになる」

グリフィスさんが苦々しい表情を浮かべる。

そんな顔でも触れがたい美しさは損なわれないのだから相当なものだ。

対するお兄さんはというと、先ほどまでの雰囲気と打って変わって、殺気立つように目を細めていた。

素人のおれでも肌に感じられる殺気は、自然と溢れているというより、お兄さんが意図して放っているようにも感じられる。

「いくら貴女でも、主様を揶揄する発言は看過しかねますね」
「勘違いしないで。純粋に褒めただけよ? なにせ私、その主様とはいずれ戦ってみたいと思っているの。言っておくけど、私にとってこれほどの褒め言葉はないのよ?」

グリフィスさんは朗らかに言うが、内容は物騒すぎた。

なんとなく察してはいたけどグリフィスさん、おれのイメージしているエルフとは、ちょっと違うタイプのようだ。

お兄さんは黙ったままグリフィスさんを睨んでいたが、やがて小さく溜息を吐いた。
にっこりと微笑んだ。

「まあ、良いでしょう。——では契約内容を確認いたします。
一、貴女様は1ヶ月間、木崎ハルの命を守る。
二、その間、彼の衣食住を保証し、またその後の生活に支障を来さぬよう教育する。
三、それら二点を満たした暁として、我が主は貴女様に第9秘境領域に立ち入る権利を与える。
……よろしいですね?」

先刻おれにそうしたように、お兄さんはつらつらと契約内容を暗唱した。

どうやらグリフィスさんもおれと同じように、あの人と契約を交わしているようだった。

「問題ないわ。そちらこそ、約束を忘れないでよね」
「もちろんでございます。我が主が契約を違えたことはありませんゆえ」

そのまましばらく黙り込んでしまった二人。

暗黙の中で何か駆け引きが行われているのかとも思ったが、結局それ以上は何も起こらず、

「それでは木崎ハル様。私は今度こそ失礼致します。——どうかこの地で上手く過ごしてくださいね。主様も貴方様には期待しているのです」

お兄さんが背後でそう言った。

お礼を言おうとおれが振り返ったときには、すでに姿をくらましてしまっている。
もとより存在しなかったみたいだ。

しかし、”期待している”か。

鬼のお兄さん、最後の物言いだけ妙に柔らかな感じがしたが、あれが素なのだろうか?

グリフィスさんと言い合っているときも何だか活き活きしていたようだし、よく分からない人だった。

さて。何はともあれ進展があった。現状を整理しよう。

異境の地で、どうやらおれの世話を焼いてくれるらしいエルフの女性と只今二人きり……。
それだけだ。それだけだけど、どうしような。

「あの——」
「お腹が減ったわね」

何はともあれコミュニケーションは大事だと珍しく思って、意を決するわけでもなく話しかけたのだが出鼻をくじかれてしまった。

というかこの人、今わざと被せなかっただろうか?
だとしたら傍若無人か、あるいは気遣いか。

後者ならかなり不器用な気の遣い方だった。

「行くよ、ハルくん。美味しい朝ご飯をご馳走してあげる」

すでに歩き出しているグリフィスさんが向かう先は、広場の一角にある建物で、外観から察するにカフェのようだった。

おれは少し駆け足になってグリフィスさんの凜とした後ろ姿を追った。

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4.馴れ初め足りうるか

冒険心は人を殺すが、
超えていく人々も確かにいる。

おれはグリフィスさんに続いてカフェに入った。

店内は木造りの落ち着いた雰囲気だ。

炎とは違う、淡い光の球体が閉じ込められたランタンがいくつも吊されていて、柔らかい暖色に店の中を染めている。

耳に馴染みのない不思議な色の音楽(聴いたことのない楽器だが調子はどこかの民族音楽に近い)が流れているのもあって、一歩立ち入るだけで外とはどこか別の空間に迷い込んだようだった。

グリフィスさんは迷うことなく店の奥の席に進んだ。もしかしたら行きつけのお店なのかもしれない。

4人掛けの席だ。おれはグリフィスさんの斜め向かいに腰掛ける。
面と向かうと対立し、斜め向かいなら親交を生む……何かの本でそんなことを読んだ記憶がある。おれがグリフィスさんと対立しても良いことなど一つもないだろう。

店内にはちらほらとお客がいるが、おれたちが視界に入ると何やら驚いたように目を瞠る。

山羊のような角を生やした小柄なおじいさんも、おれの腰元ほどしか身長がないのに妙に大人びた雰囲気の女性もみんな、つられるようにこちらを見て、しまったとでもいうようにすぐ目を逸らす。

こちらでは人類が珍しいのだろうか?

幸いおれは他人の目を気にするたちではないけど、どうしてそんな反応を見せるのかという疑問を持つ程度の頭はある。

「なんか見られてますね、おれ」

メニュー表を眺めていたグリフィスさんの蒼い瞳が「ん?」とおれの方へ持ち上げられる。

「あぁ。それ、見られてるのは私だから気にしなくていいよ。確かにヒト族もこっちでは珍しいけど、それはキミたちが弱すぎてすぐに死んじゃうからだから。“おぉ、まだ生きてる”。“絶滅危惧種族だ”。くらいの意味合いね。見られても気にしないことよ」
「普通の精神してたら気になりますけどね……。というか、明日にでも死ぬと思われてるんですか、おれ」

どうやらここではおれたち人類はヒト族と呼ばれているらしい。

それにしてもすぐ死んでしまうから珍しいだなんて、嫌すぎる注目の浴び方だった。

さらにグリフィスさんは「明日どころか今すぐにでも命果てると思われてるわよ?」などと畳みかけるようなことを言っている。

すごくいい笑顔だった。けっこう人をいじめるのが好きなのかもしれない。

「それで、そんなヒト族よりも注目されるって、グリフィスさんは何者なんです?」
「私は普段からけっこう暴れてるからねぇ。——あ、ミックスサンドふたつね。飲み物はキトレウムティーと……ハルくんは?」

狼のような耳の生えた少女が注文を取りに来てくれたのでグリフィスさんが率先して頼んでくれる。

「コーヒー、で通じますか?」
「もちろん。ミルクとシュガーは?」
「ブラック……ストレートでお願いします」

聞き慣れた単語が多いけど果たしてどこまで通じるのか判断が難しい。
コーヒーの“ブラック”という表現に加えて“ストレート“と足してみたがどうだろう。

……いやまてよ、ミルクも砂糖もいりませんの方が確実だっただろうか。

何やら“ブラックで”と言って大人びてみたい子供のようで少し気恥ずかしい。

でもどうやらちゃんと通じたようで、「おー、大人だね」と言いつつグリフィスさんは注文を終えていた。

「それで何の話だったかしら?」
「グリフィスさんが暴れん坊で有名ってとこですね」
「あぁ、そうだったね」

暴れん坊呼ばわりされてもグリフィスさんは全然気にした様子を見せない。
それどころか、まるで誇るかのように微笑を浮かべている。

「……グリフィスさんって、見た目によらず好戦的だったりします? 鬼のお兄さんの主とも戦いたいって言ってましたし……」
「戦いに限らずわくわくすることは何でも好きよ? そういう意味ではカーモスは天国よね。毎日何か新しいことが起きるんですもの」
「“第9秘境領域“、でしたっけ? 例の契約の対価は」
「ふふ、その通りよ。カーモスには都市外にいくつも秘境があってね。その中でもとりわけ謎の多い地が13領域存在しているの。私はその9番目を踏破したいわけ」

店員の少女が飲み物と料理を運んできてくれて、グリフィスさんはまずレモンティーに口をつけた。その仕草はやはり優美で、一見すると冒険家のような話を嬉々として語るような人には見えなかった。

ちなみにグリフィスさんは、キトレウムティーと注文していたが“キトレウム“はラテン語で”レモン“という意味だったはずだ。

現にグリフィスさんが飲んでいる紅茶(と思われる)には、色合いこそ緑がかっているもののレモンらしき果物が輪切りになって浮いていた。

おれも目の前に置かれたコーヒーを口に含んでみる。ほどよく酸味の効いた深い苦みが口のなかに優しく広がって美味しい。

孤児院ではインスタントばかり飲んでいたから、異世界のものとはいえお店のコーヒーは妙に味わい深い気がした。

美味なコーヒーに舌鼓を打ちながらも、おれは話を促すことにした。

これから世話になる流れになりそうだし、グリフィスさんの目的は知っておく必要があるだろう。

「で、その秘境に入るには許可が必要なんですか?」
「そんなことはないんだけど……。どの秘境も——特に13領域は簡単には入れないようになっているわけよ。たとえば私が目指している第9領域は、そこに通じる道すべてで雨が降っているの。その雨に降られるとなぜかみんな迷子になっちゃって、誰も入り口へ辿りつけないのね。そこで、かの主様に雨の結界を破る魔法具を所望したわけでした」
「なるほどです……。でもそのために見ず知らずの子供のお守りを引き受けるなんて物好きですね」
「そうでもないわよ。さっきも言ったけどヒト族はこっちじゃ珍しいから、私も興味がないでもないわ。それにハルくんは個人的にも面白そう」
「……光栄です。せいぜいグリフィスさんの足を引っ張らないようにしますよ」
「いえいえ、利害は一致していると思うしね。私は秘境に入りたい。キミにも興味がある。そしてキミはここでの生活を学ばなければならない。ね?」

大人の女性といった感じの余裕さでグリフィスさんが微笑む。

わざとやっているのかわからないが、小首を傾げるという可愛らしい仕草が加わって、ますます触れがたい雰囲気を溢れさせていた。

「あ、そうだ。ひとつだけお願い、いいかしら?」
「なんなりとどうぞ」

お互いにミックスサンドを食べ始めたところで(これまた美味だった)、何か思い出したようにグリフィスさんがそんなことを言うので、おれはすぐさま肯定の意を示した。

おれは自分が義理堅いとは思っていないが、それでもこれから世話になる人への礼節を弁えないほど愚かでもないつもりだ。

「私の呼び名だけど“グリフィス”はやめてもらっていいかな?」

これは意外なところでのお願いだ。
フィローラル・エスティーシャ・グリフィス。おれの常識では“グリフィス”が家名だと思ったから敬称付きで呼んでいたのだが、何かまずかったのだろうか?

「これは失礼しました。もしかして馴れ馴れしかったですか?」

「いやいや、そうじゃなくてね……というかハルくんは年の割にしっかりし過ぎだと思うけど、えーと、今はそんな話はよくて……。グリフィスは私の家名なんだけどね、まあ簡単に言うと正直あまり好きではないのよ。だから名前の方で呼んでくれると嬉しいかな」
「そうですか。では、フィローラルさん……?」

家庭あるいは故郷になにやらワケありといった感じだけど、会って間もないおれが踏み込むことではないかもしれないのでここは素直に返しておく。
我ながら気が利いていると思ったのだが、フィローラルさんの方はそんなことを恩に感じる性格ではないようで、

「せっかくだし、もっと親しみのある呼び方にしてよ」

なんて言って面白い物を見つけたようにおれの様子を窺っている。
美人のくせにほんとうに良い性格をしている。

「親しみって……こんなガキに呼び捨てとかされたくないでしょう? 愛称とかですか?」
「私は呼び捨てでもかまわないけれど……愛称、いいわね。何て呼んでくれるのかしら?」

ますます子供のような無邪気さに溢れてくる女性を前に、おれはめずらしく尻込みしてしまう。

それでも必死に頭を働かせて、
「じゃあ——」
おれはとっさに思いついた彼女の愛称を口にした。

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5.ハルとラウ

名が存在を定義する。
その姿で、生きろ。

「——ラウさん、これからどこに行くんですか?」

朝食を終えたおれたちは再度カーモスの街中へ繰り出した。

愛称は“ラウ“に落ち着いた。

家名は嫌だから名前から考えてくれという本人の要望に応え、最初は“フィローラル”から単純に“ラル”を切り取ることを提案。
ところがそれは故郷でも呼ばれていたから却下とのこと。

それで今度は少しもじって“花”を意味する“フローラ”を提案したのだが……。

深い意味はなかったのに微笑ましげに「ませてるねー」なんて言われてしまった上、「お姉さん恥ずかしいからゴメンね」と丁重にお断りを受けた。

言われたおれの方がよほど恥ずかしい事態だったように思う。

その後も“フィローラル”と“エスティーシャ”からあれこれ考えたのだけど、ことごとく却下されてしまった。(“エスティーシャ”はエルフの星で授かった彼女だけの称号らしい)

面白半分で言い出したくせに随分なこだわりぶりだった。
おれを使って遊んでいるとしか思えない程度には。

そんなこんなで、最終的に“ラウ”に落ち着いたわけだ。

“フィローラル“から“ラウ“。
本来の言語表記なら的外れではないけど……どうしてもカタカナの字面でイメージしてしまうおれには少し違和感がある呼び方だ。

まあ意外にも本人はいたく気に入った様子なので良しとしよう。
ラウさんいわく、音の響きがステキなんだそうだ。

そういう感覚をいまいち図りかねるおれだけど、ラウさんの印象には合っているのかもと後付けながら感じている。

「まずはハルの部屋探しからね。カーモスには面白い物件が多いから、好きなところを選ぶといいわ。なんなら私の部屋に来てもいいけど?」

楽しげに、そしてちょっとだけ意地悪げにラウさんが言う。

おれの呼び方もいつの間にか“ハルくん”から“ハル”に格上げ(?)されていた。

「……あまり年頃の男をからかうものじゃありませんよ、ラウさん。本気にしますよ?」
「あら、私は本気よ? ふふ、それにしても年頃の男ときたか。ハルは今いくつなの?」
「14です」

ラウさんが目を丸くして、しげしげとおれを眺めた。
首を傾げたおれをよそに、そうかそうかとラウさんは合点した様子だ。

なんなんだろう、いったい。

「若いなー。ね、私はいくつに見える?」

興味津々といった様子のラウさん。

これまたけっこう意地悪な質問だと思うけど、どう答えるのが正解なのだろう……。

「……20歳くらいでしょうか?」

あれこれ悩むのは性に合わないので感じたままに言った。

聞いたラウさんはというと一瞬キョトンとした表情になって、次の瞬間には吹き出した。
愉快そうに声を上げて笑いだす。

おれ、なにか見当外れなことを言っただろうか?
お腹を抱えるほど笑わなくても……。

「——ふ、あはは。そっかそっか、20歳かぁ。予想はしてたけど、実際に聞いてみるとこれはまた」
「おかしなことを言ったでしょうか……?」

どうにも落ち着かない気分になりながら尋ねると、ようやく笑いがおさまったらしいラウさんが、ふるふると首を横に振った。

「ごめんごめん、違うわ。ヒト族の感覚だとそうなるわよね」
「……一体いくつなんです? まさか笑いものにしておいて女性に年齢を訊ねるのは厳禁、だなんて言いませんよね」
「なに? ハルの世界では女性の年齢を聞いたらマズいの? こっちでは種族によって寿命も年の取り方もばらばらだから全然そんなことないのよ。ちなみに私は1521歳」
「まさかの1000歳越え……」

あらためて考えれば当然だがエルフ族、どうやら長寿の一族のようだった。

「でも、むりやりヒト族の年齢に当てはめると18歳ってところかな。ハル、惜しかったね」
「……それはそれは。オトナビテみえますね」
「あはは、それはどうも。ハルはもう少ししたらいい男になりそうよね」
「多分すぐに追い抜いちゃいますよ。見た目の年だけは……」

わしゃわしゃと頭を撫でてくるラウさん。街中で恥じらいも何もあったものじゃない。
おれは羞恥という感情と縁遠いほうだけど、少しだけ居心地の悪い感じがする。

……けっこう気持ちよくて悔しかったりもするのだが。

ラウさんはずいぶんとおれを子供扱いしてくれる。
でもほんとうに、外見の年齢ならすぐに追い越してしまうはずだ。

ついさっき自分で言った言葉が、ふいに重く感じられたのはなぜだろう。

おれはラウさんよりも、遙かに早く死んでいく。

きっとラウさんにとって瞬くような時間のはずで、少しだけ感傷的になってしまう。

多くの種族が住むこの地に根を下ろすということは、もしかしたらそういうことなのかもしれないな。

どうやらラウさんが有名人なのは本当のようで、しかもおれなんかを連れているから、こうして歩いていても多くの視線を集めている。

気さくに声をかけてくる人も少なくないが、それ以上に目が合うなり顔面蒼白になったり、あからさまに逃げ出す人の方が多い。

それはきっと、良くも悪くもラウさんがカーモスで過ごしてきた証のようなものなのだろう。

おれも今日からこの星の一員になるんだ。

今更になってそんな実感が湧いた気がした。

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葛史エン(くずみ えん)
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